演出の妙味 高畑勲監督『パンダコパンダ雨ふりサーカス』の魅力 |
『アルプスの少女ハイジ』(1974)や『母をたずねて三千里』(1976)、『赤毛のアン』(1979)といったテレビ名作シリーズを監督し、スタジオジブリでは宮崎駿との2枚看板の監督として『火垂るの墓』、『平成狸合戦ぽんぽこ』などの監督を手がけた高畑勲。一貫して日本のアニメーション界を順風満帆に導いてきたかにみえる氏であるが、初めての作品を監督した後に演出助手に降格したという事実をご存知だろうか。その作品の名は『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968)。この頃、「アニメーション」と呼ばれるのは一部の芸術作品のみで、この手の商業映画は一般的に「漫画映画」と呼ばれていた。このタイトルがイメージしているものと実際にそこで描かれているものには大きな開きがあることは作品を見れば容易にわかる。登場人物は、あまりにも純粋に己に与えられた運命や環境と闘っている。そこで生じる悩みや迷いは言ってみれば青年期以降のものである。興行的な不振を分析すれば、タイトルを見て映画館に足を運んでくる子どもたちは、製作側が意図した純粋な悩みや情緒を受け入れることはできなかった、ということになる。この作品は、アイヌのユーカラを元にした深沢一夫の人形戯曲『チキサニの太陽』(「人形座」という人形劇団が『春楡の上に太陽』として1959年に上演。演出井村淳。いいだ人形劇フェスタ2005で美術博物館に人形が展示された。)を、深沢自身が北欧を舞台に翻案したものである。深沢の第1稿は、いかにも漫画映画らしく描かれたものであったようであるが、高畑は、ひとつひとつの台詞や登場人物の行動に疑問を投げ返し、完成度の高いドラマを目指していった。第2稿、第3稿、第4稿と密度を上げるドラマづくりの中で、当初8ヶ月の予定制作期間、7千万円の予算で計画されたこの作品は、最終的には2年、1億3千万円までに膨れ上がった。そのため、携わったスタッフは処分を受けることとなったのである。 一方、そうした状況であったにも関わらずこの作品が後に与えた影響は大きい。商業アニメーション映画の中にあっても社会的なテーマをきちんと表現しようとする高い志や、妥協を許さぬ製作への執念や研鑽による技術水準の上昇などである。特に、高畑監督に寄り添いながら各シーンの設定となる膨大なスケッチを描き上げ、いつの間にかメインスタッフ入りをしていたのが、当時24歳の宮崎駿であった。後に『千と千尋の神隠し』(2001)で304億円の興行収入をたたき出し、ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞するなど、宮崎がもたらした今日の日本のアニメーション(漫画映画)の隆盛を誰がこのとき予測できたであろう。そして、映画史を探るとき『太陽の王子ホルスの大冒険』は、まさしくその隆盛への出発点であったといっても過言ではない。 演出助手から再び監督に復帰した高畑が、劇場用作品としては『ホルス』に続き手がけた作品が『パンダコパンダ』である。この作品は2話からなるシリーズで、1話目が1ヶ月弱、2話目もわずか40日程で製作されたという。しかも、『ゴジラ』シリーズへの添え物的な扱いである短編ながら、子どもたちの反応は『ゴジラ』よりもはるかによかったのである。 1972年(昭和47)、日中国交回復に伴い中国から日本に贈られたパンダが上野動物園で大変な人気者になっていた頃、その風潮にあやかるように製作されたのが、『パンダコパンダ』である。劇場用のアニメーションとしては、『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968)に続く高畑勲監督作品。『ホルス』は全編通して一ヶ所もユーモアがなく、テーマを投げかける年代層と現実の観客層に大きな隔たりがあった。それから『パンダコパンダ』までの5年間にどのような変化が見られたか。『ホルス』で前面に出ていた孤独や現実社会の苦悩などは、以後、ドラマの最重要の要素として深いところに置かれ、前編にユーモアや明るさ、生きる喜びなどがあふれ出る作品となった。もちろんその間数本のテレビアニメの演出は手がけてはいるものの、このような劇的ともいえる変化は、高畑が今日まで一貫して商業的アニメーションの世界に身を置き、観客を見据えてきたことによるものに他ならないと考える。劇場に足を運ぶ観客である子どもたちに対して、決して媚びるのではなく、何を伝え何を提供するか、また、どうすれば製作会社に利益をもたらし製作の継続性が担保されるかということを自ら考え、変化させたものと考えられる。このことは、同じくアニメーション作家である川本喜八郎が選択した「芸術」としてのアニメーションの方向性、少し乱暴な言い方が許されるなら、観客や時代の要請よりも独自の表現を貫き通す方向性と大きく異なる。 さて、『パンダコパンダ雨ふりサーカス』(1973)には大洪水の後辺り一面が湖さながらの光景に変わるというシーンが登場する。後に『ルパン三世カリオストロの城』(1979)の美術を手がけることになる小林七郎の美術が冴える。水底のチューリップ、周囲を魚が泳ぎまわり、パンダの親子とヒロインミミ子はベッドを舟に仕立てた水上を悠々と漕いで行く。忘れえぬ美しい1カット。どこかで見たような風景、あり得るかもしれない風景である。だが、そんなシーンは唐突に現れたものではなく、前夜の大雨や浸水の様子が、水に浮いたサンダルや、1階から鍋やポットを運びあげる描写できっちりと表現されている。不安や孤独といった心理も、ミミ子が祖母への手紙を書く形で描かれている。このような「日常性の描写」は、『アルプスの少女ハイジ』(1974)や『母をたずねて三千里』(1976)でより鮮明になる。「日常」の中におきたひとつの出来事に主人公がどういうふうに対応していくかということに重きをおき、日常の中にファンタジーを持ち込む。「生活アニメーション」とまでいわれる完成されたスタイルが生まれた。同時にこのスタイルは高畑演出の真骨頂ともいわれるようになった。テレビアニメといえばスポーツ根性ものやヒーローものがほとんどという時代に、「生活アニメーション」は異色であったが、観客からは歓迎されることとなったのである。(敬称略) デザインの上でも「トトロ」などの原型が見られるといわれ、高畑勲のその後の演出や表現の原点ともなっている『パンダコパンダ雨ふりサーカス』は、ジブリファンのみならず、あらゆる人にお勧めしたい1本です。(Yamamoto Keiichiro) 参考資料 映画を作りながら考えたこと 高畑勲(徳間書店) 映画を作りながら考えたことⅡ 高畑勲(徳間書店) ホルスの映像表現 解説高畑勲(徳間書店) 作画汗まみれ 大塚康生(徳間書店) 出発点 宮崎駿(徳間書店) |
by ikpm
| 2007-02-20 10:08
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